アゼルバイジャン移住ガイド
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サイト休止します

1/6/2021

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観光等のパッと見の印象でこの国について判断するのはやめて下さい。

私も移住前に観光をし「人々は穏やかで、問題なく生活できそうだ」と勘違いをして移住してしまったのですが、最初の数週間で「この国なんかおかしーぞ?」となり、ものの数か月で「こいつらヤベーわ」となり、ナゴルノ・カラバフ戦争とそれに対する人々の様子をバクーで目の当たりにしたことでこの感覚は確信に変わりました。
現地に根を下ろし、地元の人々と深く交流することで、チープな張りぼてでは隠し切れないエグイ本質にようやく気付くことができました。ここまでパッと見の印象と実態がかけ離れている国も珍しい。

この国では全てが嘘です。
政府、歴史、ニュース、人々、文化、警察、全てがブレインウォッシングとプロパガンダにまみれた嘘ばかりです。息を吸うように嘘をつくことになんのためらいも見られません。


アゼルバイジャンへの移住方法をまとめようと軽い気持ちで始めた当サイトですが、いつの間にか「自分がこの国で目にしたもの感じたことを記録に残す」という使命感から、かなり切り込んだ内容になってしまいました。
一通りの内容を投稿し終えたので、ここで一旦サイト・ブログ更新を休止したいと思います。

「んなわけねーだろ」と当ブログの内容をにわかに信じられない読者の方からツッコミを頂くこと度々ですが、誓って極端な脚色やガセネタは排し、事実を事実として淡々と書くとこうなってしまいます。
当ブログに掲載している内容は英語でググればすぐに裏の取れる程度の内容ですので、興味のある方は是非英語でもっと調べてみて下さい。


2019年以降、ムヒタリアンの​ヨーロッパリーグ決勝戦欠場や、バクーでのデモ行進の武力鎮圧等、きな臭いニュースがちらほらと出ていましたが、今回のコロナ禍真っただ中でのカラバフ侵攻とそれに伴う意図的なプロパガンダ・フェイクニュースの拡散や戦争犯罪の数々で、ついにベールに包まれたアゼルバイジャンという国が国際社会にその危険な姿を現し始めました。


他人種に寛容とされるテュルク(トルコ)系民族ですが、自分の軒先に自分と相いれない考えを持つ集団が存在することは許さず、そういった「敵」に対しては容赦なく根絶やしにかかる残忍さを併せ持っていることは歴史が証明しています。
トルコによる第一次世界大戦中のアルメニア人大虐殺然り、現在進行形のクルド人迫害然りです。

あくまで私の感覚ですが、このテュルク民族が持つ、排他性・狂信性・攻撃性がかなり強調されたのがアゼルバイジャン民族だと思います。
そこにソビエト式+アラブ式のブレインウォッシングと軍事独裁政権が加味され、21世紀にかくもヘンテコな国がオイルマネーにより生き残ってしまったのだと思います。

先のカラバフ戦勝パレードにて、独裁者アリエフ大統領は「アルメニアの首都Yerevan、Zangezur、Goycheはアゼルバイジャン人の歴史的な領土である」と歴史改ざんスピーチを行いました。
これは将来のアルメニア本土進攻への布石と考えて間違いないでしょう。

あくまで私の感覚ですが「こいつらはやります」。

30年前のスムガイトでアゼルバイジャン市民がアルメニア移民の大虐殺を行ったように、アゼルバイジャンがアルメニアに侵攻してアルメニア人を根絶やしにするのは決して絵空事ではありません。
次に世界の地政学環境が不安定化したタイミングで、アルメニア本土進攻は十分起こり得るのではないかと思います。

個人的にアゼルバイジャンは北朝鮮より危険だと思ってます。
北朝鮮はミサイル撃つぞ撃つぞ詐欺をするだけで実際には撃ちません。アゼルバイジャンは撃ちます。

その行動が凄惨な結果を招いても、記憶力の悪いアゼルバイジャン人はすぐにそんなことは忘れ、歴史は改ざんして美化し、都合の悪いことは嘘で隠し、国際社会からの批判は情報統制でシャットアウトし、しれっと「アゼルバイジャンって良い国よ」と息を吸うようにのたまうでしょう。


テュルク民族はこうやって版図を拡大してきたのでしょう。
突然その地に現れ、先住民と混血しつつもアイデンティティーは失わず、数を増やし勢力を拡大し、反対勢力は根絶やしにし、気づけば「ここは俺達の国だ」です。​
今、ヨーロッパを中心にトルコ移民が急増しております。数世紀後何が起きるか。


さて、イランでは核科学者が暗殺され、中東和平により湾岸諸国とイスラエルがイランを挟み撃ちにできる体制が整いました。

「They separated the Aras River and filled it with rocks and rods. I will not be separated from you. They have separated us forcibly.」
これはカラバフ戦勝パレードに出席したトルコのエルドアン大統領が、アゼルバイジャン民族がイランとアゼルバイジャンに分け隔てられていることを嘆いた詩とされています。(トルコ側はその意図を否定)
トルコはイランとそこまで関係も悪くなく、この詩をもってトルコ・アゼルバイジャンがイラン北部に侵攻するという判断は早計ですが、イラン包囲網が強まる中、将来の侵攻に含みを持たせるべく軽くジャブを打ってみたといったところでしょうか。

シリアに目を移すと、実はカラバフ戦争の真っただ中、トルコ軍はシリア内最大の軍事拠点ムーリク市の監視所から撤退し、一帯はシリア政府・ロシア軍の実質的な支配エリアとなりました。


さて、日本の地政学・外交の専門家の皆様はアゼルバイジャンに関してはほとんどノーマークだったのではないでしょうか?

しかし、今回のナゴルノ・カラバフ戦争を
  • 「小国同士の領土紛争」と解くか
  • 「ソビエト連邦とオスマントルコ帝国によるムーリクとカラバフの領土交換ディール」と解くか
  • 「オスマントルコ帝国のNATO離れ&ソビエト連邦との緩やかな同盟形成」と解くか
  • 「オスマントルコ帝国版図再拡大の第一歩」と解くか
  • 「ペルシャイラン帝国崩壊の最終章開始の号令」と解くか
いずれにせよ、そのど真ん中にいるのはアゼルバイジャンです。
もうスルーせずに一度この国について真剣に調べてみてはいかがでしょうか?


ところで当ブログの本題である「アゼルバイジャン移住」に関してですが、これだけネガティブな発見を暴露しておきながら、お勧めです。
合法的にネットの通じるソビエトに住めると思えばまたとない経験でしょう。
​
最近日本人ノマドに大人気の隣国ジョージアについての質問を頂くのですが、ジョージアなんか住んで面白いすか??
ジョージアってもはや普通の国です。快適過ぎてなんの面白みもありません。

不快と混沌の入り混じるアゼルバイジャンでの生活は、軟弱な日本人を芯から鍛えなおしてくれるでしょう。


見たまま感じたままをそのまま記録に残すことに主眼を置いた当ブログですが、事実を事実として書くとほとんど都市伝説になってしまうのがこの国を凄いところです。
普通の日本人が私のようにアゼルバイジャン現地のコミュニティにがっつり入り込むことも難しいので、なかなか確認しようがない内容も多いでしょう。
私の考えを押し付ける気もありませんので、まぁ皆さん自分の目で見て判断してください。
​
信じるか信じないかはあなた次第。
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はじめに

10/10/2018

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本サイトでは「アゼルバイジャン」という国の居住権・永住権の取得方法を紹介したいと思います。

日本人には馴染みのない国かと思いますが、現地起業による居住権の取得が可能で、また、預金や不動産の購入により取得可能な投資居住権制度もあり、比較的簡単に移住できてしまうのが特徴です。居住権は最短1ヶ月以内で取得可能です。

首都バクーの外観はヨーロッパ調で美しく、治安も大変良く、一方で生活コストはアジア新興国並みに安く、移住にはうってつけの条件が整っています。
カスピ海に面し、ロシア・トルコ・イランに挟まれたコーカサス地域に位置するこの国ですが、空手や合気道の道場が普及しており、また、日本語を教える教育機関も複数あるなど、身近な生活の中で小さな日本を感じられる国でもあります。
​
「日本を脱出したい」「海外で暮らしてみたい」「海外起業」「海外で挑戦したい」「低コスト国で生活費を抑えたい」「グローバルノマド」「海外リタイヤ」「日本以外に居住できる国を確保したい」「海外不動産投資をしたい」、そういった方々に、是非このアゼルバイジャンという国も選択肢の一つとして考えて頂ければ幸いです。
ご興味をお持ち頂けましたら、まずは一度観光にでもお越しになってみてはいかがでしょうか?
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概況

10/10/2018

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アゼルバイジャンは1991年にソビエト連邦から独立を果たした比較的歴史の浅い国です。

一口にアゼルバイジャンといっても、人種は地方によってだいぶバラつきがあり、首都バクーに関してはトルコ系の色合いが強く、髪色はブラウンか黒、瞳はブラウンという人がほとんどです。また、ソ連時代にロシア軍が駐留していたこともあり、ロシア系の血筋が濃い人もけっこういます。
男性の平均身長は約172cmで日本とあまり変わらないのですが、体格は日本男児よりもかなりがっしりしています。女性の平均身長は約165cmで大和撫子よりも大きいです。

宗教はほとんどの人がイスラム教で、ラマダン等のイスラム・アラブの生活様式が見受けられる一方、ソ連統治時代が長かったこともあり、服装・建物・娯楽等はロシアに似通っております。
イスラム教の伝統衣装であるヒジャブを被る女性はほとんどおりません。

北半球に位置しており、バクーにも一応四季があるのですが、春と秋が非常に短く、ほぼ夏と冬です。雨はほとんど降りません。
気候は厳しいです。夏は最高気温が40℃以上にまで上昇し、冬の最低気温は氷点下まで下がります。バクーは別名「風の街」と言われる程、風が強いのですが、そのせいで夏も冬も体感気温は実際の気温以上に厳しく感じられます。

​公式邦人人口は2018年4月時点で51人です。
ただ、(私のように)真面目に在留届を提出せずに滞在している面倒くさがりな日本人もちらほらいるため、実際の邦人人口はもう少し多いと思います。(それでも100人を超えることはないかなと推測します。)
​この国では日本人・アジア人は超マイノリティーで、道行く人にじろじろ顔を見られます。

国名
アゼルバイジャン共和国
面積
86,600 km2(北海道とほぼ同じ)
人口
990万人
首都
バクー(人口230万人)
宗教
イスラム教97%、キリスト教3%
言語
アゼルバイジャン語92%、ロシア語1%
民族構成
アゼルバイジャン人93%、ロシア人1%、アルメニア人1%
通貨
マナット(AZN)
GDP
392億ドル/701億マナット(2017年推定値)
1人当たり
​GDP
3,997ドル/7,149マナット
​
(バクー 約12,000ドル/約21,000マナット)
在留邦人数
51人(2018年4月時点)
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なぜ今アゼルバイジャンか

10/10/2018

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「なんでアゼルバイジャンにお住まいなのですか?」という質問をよく受けるのですが、一言で申し上げると「生活費が超割安で、治安がとても良く、居住権の取得が簡単で、ビジネスチャンスがたくさんある」からです。(生活費はアジア新興国以下と言っても過言ではないです。)
​
​下の米ドルに対するアゼルバイジャンマナット(AZN)の為替の推移が、この国の現状を物語っています。
画像
ソ連から独立後、カスピ海油田開発に依存した経済運営を進めてきたアゼルバイジャンですが、資源価格の下落による輸出・外貨準備高の減少に伴い、2015年より段階的に通貨の切り下げを実施せざるを得ない状況に追い込まれました。2015年2月時点で1ドル0.78マナットであった為替レートが、2018年5月時点ではそれが1ドル1.7マナットとなり、なんとたった3年で通貨の価値が半分以下にまで減少してしまったのです。2017年にはアゼルバイジャン国際銀行が債務不履行に陥る事態となりました。
(実際暮らしているとあまり実感はないのですが)この国は通貨危機の真っただ中にあるのです。そして、通貨危機にある国においては、外貨を持つ外国人はとっても割安に生活することができるのです。

では生活水準はどうかというと、そこそこ近代化が進んでいます。21世紀初頭まではこのバクーという街はカスピ海沿岸の片田舎だったのですが、国策として地方から人を集め、インフラ開発を進め、また、観光客を呼び寄せるための美術館やスポーツ関連施設等を充実させてきました。2025年の万博開催にも立候補しています。(大阪と競っています。)
不便な点はまだまだありますが、普通に生活していくのには特段大きな問題はないのではないかと思います。

スーパーではたいていの食材が手に入り、地下鉄とバスで市内どこにでもアクセスでき、ケーブルテレビに加入すれば海外のスポーツも見れ、光ファイバーや4Gの通信網もあり、ショッピングモールに行けば海外ブランドの服もあり、ATMも至る所にあり、ロシア料理やグルジア料理のおいしいレストランもたくさんあります。

​そう、今このタイミングであれば、お得なお値段で、簡単に居住権が取得でき、そこそこのプチヨーロッパ生活を味わうことができてしまうのです。

​起業家にとってはビジネスチャンスがたくさんあります。アゼルバイジャンの市場自体はそれほど大きくはないのですが、今世紀に入るまでほぼ外界と隔絶されていた国なので、国民は突如流入してきた海外の物やサービスや文化に夢中です。一方で現地企業ではそういった国民のニーズを十分満たすことができておらず、グローバルな起業家にとっては競争も少なくブルーオーシャンな市場がたくさんある魅力的な国となっております。昨今南アジアや中東から起業家がどんどん流入してきています。
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F1アゼルバイジャンGP

10/10/2018

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バクー市民の年に一度のお祭りがFormula 1(F1アゼルバイジャンGP)です。カスピ海沿いの大通りNeftchiler Avenueから観光名所Old Cityへと続く全長6kmの市街地サーキットをレーシングカーが疾走します。
このコースは全長2kmに及ぶ直線セクションがあり、「世界最速の市街地コース」と言われています。一方でOld Cityを囲むセクションは道幅が狭く、レーサーにとっては独特の難しさがあるコースとのことです。
2018年のFormula 1はルイス・ハミルトン(メルセデス)が優勝しました。

​このイベントのため、開催2カ月前ぐらいから観客席や看板の設置が始まり、開催期間中はバクー市街中心地が閉鎖されます。そこら中にフェンスが設置され、道を渡るのも一苦労で、騒音も激しく、興味のない人にとっては迷惑極まりないイベントです。。。
​モータースポーツ好きの方には良いかもしれません。
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アルメニアとの関係

10/10/2018

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アゼルバイジャンを語る上で欠かすことができないのが、隣国(敵国)アルメニアとの関係です。パスポートに、アルメニアが実行支配する紛争地帯Nagorno-Karabakhの入国スタンプがある場合、アゼルバイジャンへの入国を拒否されるようですのでご注意下さい。(Nagorno-Karabakh以外のアルメニアへの入国履歴は問題ないようですが、適宜最新情報を確認して下さい。)

アゼルバイジャン領内に飛び地的に存在するアルメニア人居住地区であるNagorno-Karabakhは古くから両国の紛争に火種になってきました。80年代後半以降、両国間の戦争にまで発展し、相次ぐ武力衝突の末、現在Nagorno-Karabakhはアゼルバイジャン領であるものの、アルメニアが実行支配をし、Nagorno-Karabakh自体は独立宣言をしているという泥沼の状況に陥っております。

アゼルバイジャンでは、毎年2月26日になると、各種SNSが「Khojaly大虐殺」を糾弾する投稿で溢れかえります。これは、両国がソ連から独立した後に紛争が悪化し、1992年2月後半、アルメニア軍がNagorno-Karabakhのアゼルバイジャン人居住区Khojaly近辺において数百人のアゼルバイジャン人を虐殺したとされる事件のことです。(アルメニア側は虐殺は捏造であると主張。)
一方で、80年代後半以降には、アゼルバイジャンに居住するアルメニア系移民がアゼルバイジャン市民により虐殺されるという事件も多く発生しており、犠牲者数は数百人から一千人以上とも言われています。(アゼルバイジャン側は、事件はアルメニア人やKGBによって扇動されたものであると主張。)内気で穏やかな現在のバクー市民の姿からは想像もつかないのですが、首都バクーにおいてもアルメニア人に対する暴行・虐殺が発生したようです。

2016年4月には、両国の間で再び大規模な軍事衝突が起こり(April War)、数百人規模の犠牲者が発生した模様です。
両国間の憎悪は非常に激しいものであり、アゼルバイジャン人にはアルメニアの話題には触れないのが得策です。
​
このように、アゼルバイジャンは戦時下の国という側面もあり、移住をされる場合は、地政学リスクも理解した上でご判断下さい。バクー市内はとても平和です。

余談になりますが、2017年、アゼルバイジャンのQarabağ FKというサッカーチームが欧州チャンピオンズリーグのグループステージに進出しました。結果はグループステージ敗退だったのですが、A.S. RomaやAtlético Madridと接戦を演じ、インパクトを残しました。
このQarabağ FKというチームは、Nagorno-Karabakh戦争の激戦地であり、「コーカサスの広島」と呼ばれるAgdamに起源を有するチームです。(現在はバクーに本拠地を移転。)
Qarabağ FKの活躍により、「Karabakh」という地名がアゼルバイジャンの領土であるという認識が広がり、アゼルバイジャン人はご満悦です。アゼルバイジャンのサッカーが発展するのは喜ばしいことなのですが、なにやらスポーツチームが政治利用されているようで気持ちが悪い感じもします。
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Rixard Zorge Street

10/10/2018

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バクー最高級の住宅・オフィス街であるPort Baku地区から、バクー市民の憩いの場Samad Vurgun公園に向けて、「Rixard Zorge Street」と名付けられた一本の細い道が伸びています。このなんでもない一本の道が、日本とアゼルバイジャンとの因縁を感じさせます。

第二次世界戦の真っただ中、日本を舞台に繰り広げられた「20世紀最大のスパイ事件」と呼ばれる「ゾルゲ事件」の首謀者Rixard Zorgeは、実はここバクーで出身なのです。

大戦の行方にも影響を与えたといわれるRixard Zorgeは、ソ連のスパイであることが発覚した後、1944年に巣鴨拘置所にて死刑が執行されました。
しかし、日本にとってのスパイ犯はソ連にとっての英雄です。
前アゼルバイジャン大統領故Heydar Aliyevは、Rixard Zorgeの功績を讃え、その名を冠する道路(Rixard Zorge Street)や学校を制定したのです。
​
​ちなみに、少しアクセスは悪いのですが、Rixard Zorge Parkという、立派なモニュメントのある公園もありますので、歴史好きの方は散歩がてら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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    1. はじめに
    2. 概況
    3. なぜ今アゼルバイジャンか
    4. F1アゼルバイジャンGP
    5. アルメニアとの関係
    6. Rixard Zorge Street


    ​管理人 宇佐美氏

    世界を旅するグローバル寅さん。自身の体験を基にアゼルバイジャン移住生活の実態を紹介。
    ご質問・ご要望ありましたらお気軽にご連絡下さい。


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