Al JazeeraやBBCといった海外メディアは首都バクー、もしくは、空爆のあったガンジャからテレビ中継をしますが、正直「そこじゃねーんだよなー」という気分になります。 バクーから北に30km、カラバフ紛争始まりの地にしてカラバフ難民終着の地であるスムガイト。このアルメニアへの怨念渦巻く工業都市こそカラバフ問題を考えるのに最適の地でしょう。 もしアド街ック天国がスムガイト(アゼルバイジャン)の特集を組んだらTop 3は以下で確定でしょう
ソビエト時代から化学工場が集積するこの都市では、工場から水銀を始めとした汚染物質が垂れ流しで、世界で最も汚染された都市の一つという不名誉な称号を獲得してしまいました。 かつてはソビエト内で最高の乳幼児死亡率と癌患者率を誇り、また生まれてきた子供に大量の遺伝疾患も発生致しました。 その後汚染土壌は除去され(地表から数メートルまるまる取り除いたらしいです)、工場も近代化され状況は改善しましたが、現地に行っても水道水は飲まない方が良いでしょう。 また、現在稼働している化学工場の社員からのタレコミですが、ニュースにならないだけで頻繁に細かい事故が起きており、その度に汚染物質が空中に垂れ流されているとのこと。 そんなスムガイトを語るうえで外せないのがスムガイト事件(Sumgait Pogrom)です。 カラバフ独立運動を巡りアルメニアとアゼルバイジャンの緊張高まる1988年2月、当時スムガイトには約17,000人ものアルメニア系移民がおり、彼らは教育水準も高く商才もありスムガイト経済を牛耳っており、一方で地元のアゼルバイジャン人は貧困に喘いでいるという状況でした。 アゼルバイジャン住民の怒りはつもり、「アルメニアに死を」「アルメニア人を街から追い出せ」というデモも起こりました。 そして2月27日の夕方から3日間にも及ぶ極めて組織的計画的なアゼルバイジャン人一般市民集団によるアルメニア人集団殺戮が開始されました:
ソビエト政府の公式発表によると、この事件による死者は26人となってますが、実際には最低数百名と言われています。
なぜ死者数がはっきりしないかというと、事件の後アルメニア系移民はスムガイトから脱出したのですが、数が合わないのです。最低数百名の大量の行方不明者がいるのです。 当然アルメニアは「アルメニア人を返せ、生きている証拠を見せろ」と言うのですが、アゼルバイジャンは「彼らはアゼルバイジャンで元気に生きている」と答えるだけです。(北朝鮮拉致被害者みたいですね) 生きている証拠なんてある訳ないです。大量の死体はすぐに回収されて生ごみとして処理され、生き残っていても重度の障害を負って表に出せないのですから。 無事スムガイトを脱出したアルメニア人にも、重症を負い後遺症が残ってしまった(死なない程度に体をカットされた)方が数百名とのことです。 個人的にはこの事件は世界史の教科書に載せるべき案件だと思います。(文科省の方、もし見ていたら検討下さい) わずか30年前に民間人によるこれほどの規模の残虐な虐殺行為が起きたという事実を、産油国忖度で隠蔽すべきではないでしょう。この一件から人類は学ぶべきです。 トルコ人が親日ということもあり、トルコ系民族は他人種に寛容というイメージがあるかもしれませんが、僕の認識では彼らは「友」と認識した人達に対してめちゃくちゃ優しいのであって、クルド人やアルメニア人のように「敵」と認識した人達には容赦ないと思います。徹底的に根絶やしにすることに罪悪感のかけらすら感じられません。 このスムガイト事件についてアゼルバイジャン人の友人に聞いてみたところ「あれはアルメニア移民が自作自演でアルメニア人の迫害を演出したんだ」という驚きの答えが返ってきました。。。 やはりアゼルバイジャン人は息を吸うように嘘をつく。 このスムガイト事件が大きな契機となり、アルメニアはカラバフに侵攻しました。 アルメニアの肩を持つ訳ではないですが気持ちも分かります。歴史的にアルメニア民族固有の領土が国際法的にはアゼルバイジャンのものとなり、さらに自国民が虐殺されれば取り得る手段は戦争しかないでしょう。 そして第一次ナゴルノ・カラバフ戦争ではアルメニアが勝利する訳ですが、皮肉なことにカラバフから追い出されたアゼルバイジャン系住民は多くがスムガイトに移住することになりました。 すなわちスムガイトとはカラバフ紛争初期に極めて重要な事件が起こった「カラバフ紛争始まりの地」と言っても過言ではなく、またアゼルバイジャン人のカラバフ難民がたどり着いた「カラバフ難民終着の地」でもあるのです。 もしスムガイトに行きたい場合は、メトロの「20 Yanvar」という駅から乗り合いバスが出てます。 (ちなみにこの20 Yanvarという場所は長距離バスのターミナルとしての役割を果たしているため、地方からバクーに来た人が一番最初に訪れる場所で、結果ここら辺住み着く人が多く、「田舎者の住む町」という印象でバクーっ子からは馬鹿にされてます) スムガイトでは是非中高年の方に当時の様子を聞いてみてはいかがでしょうか。 運が良ければ、スムガイト版「路上の伝説」から武勇伝を聞けるかもしれません。 ただし30年前にスムガイトで起きたストリートファイトは素手でもタイマンでもありません。武装した住民による集団的な集団リンチ殺人です。
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