こんなことをいうとアゼルバイジャン人に怒られますが、この国には「カルチャーが存在しない」と個人的には思う次第です。厳密に言うと、イスラム系のカルチャー・伝統が存在していたのですが、特に若い世代はイスラムチックな側面をダサいものとして隠してしまうので、アイデンティティーが失われてしまっているのです。(冠婚葬祭行事に関しては昔ながらの伝統行事が残ってます。)結果「アゼルバイジャンならでは」のカルチャーは特段見受けられず、海外から持ってきた(真似した)もので溢れています。
バクーの街並みは一見美しいのですが、ヨーロッパのパクりで特に見るべきものはありません。というか、(一時ソビエト連邦であったとはいえ)歴史上ヨーロッパ文明とほとんど接点のないアゼルバイジャンにヨーロッパ調の街並みが存在していること自体が異様です。 その街並みでさえ、ソ連式の超ダサいおんぼろアパートに、表面だけヨーロッパ式のタイルの被せた張りぼてです。一歩裏に回るとくそダサいソ連の廃屋です。 バクーを歩いていると近代的な作りの高層アパートに出くわすのですが、これも中身はおんぼろ高層アパートです。中に入るとソ連式のアナログ・エレベーター(デジタルじゃない!)が動いていたりします。からくりはというと、アパートを囲むように外側に近代的な建物の外観・壁だけを建設するのです…アパートの中から見ると、窓の外にもうひとつ張りぼての窓があります…今時中国でもこんな張りぼて見かけないです。この手の建築(?)様式が未だに見られるのはもはやバクーと平壌だけではないでしょうか。 さらに、大統領主導でパリの街並みを再現した(パクった)バクーホワイトシティという大型住宅地の建設も進んでいます…もうなんか全てがパクリです。 普通の国なら「恥ずかしいことをするな」と国民が怒り出すはずですが、アゼルバイジャンでは「どうだ俺の街は素晴らしいだろう」と、決して素晴らしくないもの自慢してくるのです…アゼルバイジャン人と話していると「良くないこと」「レベルの低いこと」「間違っていること」「パクリ」を自慢してくるので、もうなんか頭痛がします。 偽物も蔓延しています。日曜品から電化製品まで、明らかな模造品が売られており民度の低さを感じざるを得ません。知り合いも偽物に引っかかってしまい、サムスンのスマートフォンを購入したものの、電源を入れたら明らかに別物だったとのことです。 不覚にも写真を撮り忘れてしまったのですが、ショッピングモールのイベントで偽物のミッキーマウスが踊っている場面も見かけました。20年前の中国のようです。 そして国民はというと極度の嘘つきです。もうなんでもかんでも嘘ばかりです。 私はアゼルバイジャン人のウソには2種類あると思っていて、その1は単純に「真実を知らない」ということです。情報統制が徹底しており、テレビのコンテンツはロシアとトルコのものばかりで、外部の情報は入ってきません。アゼルバイジャンの国営放送は「アゼルバイジャンは素晴らしい国だ」「世界がアゼルバイジャンを称賛している」「ヨーロッパはは大変だがアゼルバイジャンは恵まれている」といったメッセージを発信し続けており、国民は(怪しいなと気づきつつも)概ねそういったメッセージの影響を受けています。ソ連とイスラムをミックスした環境で軍事独裁政権が徹底的な情報統制と言論弾圧を行うと、ここまで強力なブレインウォッシング(洗脳)が実現できるんだなと感心してしまいます。 その2は「マウンティング」です。相手を馬鹿にして優越感を感じることを目的として、本当かどうか分からない情報、あるいは、明確にウソの情報を必死に主張してくるのです。こんな欧米文化のダメな部分まで真似しちゃったのかと、見ていて可哀そうに思えてきます。まぁマウンティングは世界中(特に欧米)どこでも出くわしますが、アゼルバイジャン人のマウンティングの特殊なところは、「マウンティングの内容がショボい」ことではないでしょうか。すっごいちっちゃいこととか、どうでもいいようなネタで必死にマウンティングしてくるアゼルバイジャン人に出くわすと頭痛がします。 話は逸れますが、このマウンティングという和製英語は人間心理の核心をついた素晴らしい表現だと思うので是非世界に広まって欲しいです。 さてさて、海外で現地住民と接する時の基本はリップサービスです。ほめまくっていい気分になってもらった方が何かと得ですし、トラブルにも巻き込まれにくいからです。 ただ、私はもうアゼルバイジャン人に対しては一切リップサービスをやめて、全て本音で話すことにしました。じゃないとこっちが頭痛がしますし、何より真実を隠してもアゼルバイジャン人のためになりません。 「この国はXXXはダメだ」「それは嘘で、本当なXXXだ」などと真顔で言うと、アゼルバイジャン人は感情がすぐに顔に出るので、驚き・不安・悲しみ・屈辱・怒り・不快感が入り混じったような表情をします。(外人に批判された時の日本人と同じ反応です。) どうもアゼルバイジャン人は本音では自分達がイケてないということに気づいていて、それでも見栄っ張りな国民性も手伝い、背伸びをして去勢を張っているという側面もあります。またロシア人やヨーロッパ人から田舎者・野蛮人扱いを受けておりコンプレックスもあるので、「外国との比較」「外国人からの批判」に対してはとってもナーバスです。 またマウンティングをしてきたやつに対しては、正論で倍返しぐらいでやり返してます。それでも相手が大嘘八百でマウンティングを続けてきたら「お前らアゼルバイジャン人はどうしてそんなウソばっかつくんだ?」「なんでそんなちっちゃいことにエキサイトするんだ?」と真顔で言うと撃退できます。 こういった諸々の経験を通しての率直な感想は「これがソ連か~」という驚きです。鉄のカーテンの内側はこんなことになっていたとは... みなさん、歴史の教科書で1991年にソビエト連邦は崩壊したと習ったかもしれませんが、ソ連は崩壊していません。嘘と欺瞞に満ちた虚構の帝国ソビエト連邦は、このアゼルバイジャンの地で、今も人々も心の中に生き続けているのです。
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