今回はアゼルバイジャンの隣国ジョージア(グルジア)のお話です 前田日明 がやたらソビエトに詳しいですね。 氏のYouTubeチャンネルでジョージアのお話を発見しました。 氏の滑舌が悪く聞き取りにくいと思いますので、内容を要約します:
それにしても、前田日明と天龍源一郎と廣瀬陽子は滑舌悪すぎて、マジで何言ってるのか分かりません。 あるマフィアの息子 前田氏の言う通り、かつてのジョージアは欧州圏最凶のマフィア大国で、主に2つの派閥が存在していました:
最近、親父がかつて西部クタイシマフィアであったというG氏と飯を食う機会があったので、今回はジョージアのマフィアシーンについて紹介したいと思います。 このG氏はソビエト末期〜崩壊後の混乱期をよく知る年代です。 ジョージアマフィアの父 栄光のソビエト連邦時代、クレムリン中枢で表&裏社会に圧倒的な勢力を誇ったのは、ジョージア人を中心とするコーカサス軍団でした。抑圧されたマイノリティは強い。 第二代ソビエト連邦最高指導者のスターリンはジョージア出身なのです。 マルクス主義の信奉者であった若き日のスターリンは、ジョージアにて銀行強盗や爆弾テロ等やりたい放題やらかしたそうです。 この時代の彼の手口がジョージアの犯罪シーンに影響を与え、後のジョージアマフィアの礎になったとのこと。 1917年のロシア革命で大きな役割を果たしたスターリンは、ソビエト連邦建国にも参画。レーニンの死後、血みどろの権力争いに勝利したスターリンは、1924年に晴れてソビエト連邦の最高指導者となりました。 ジョージアの片田舎の貧困家庭に生まれ、その危険思想から度々投獄をされてきた青年が、ソビエト連邦の最高権力者にまで上り詰めたのです。 実権を握ったマフィアが真っ先にやることはただ一つ、『自分のシマにシノギを持ってくる』ことです。 こうして、ソビエトの表社会でも裏のマフィア界隈でも、ジョージア軍団が圧倒的な存在感を放つようになったのです。 サーカシビリ 「一昔前まで、ジョージアではマフィアが国を牛耳っていた。政府よりもマフィアの方が偉かったんだ」 G氏は遠い目で懐かしそうに振り返りました。 かつて欧州圏最大のマフィア勢力として人身売買・武器輸出・違法薬物取引等で栄華を極めたジョージアマフィアに転機が訪れたのは、ソビエトからの独立後、ミハイル・サーカシビリが第三代ジョージア大統領を勤めた時代でした。 腐敗や選挙不正の一掃を掲げ、2003年のバラ革命(アメリカによる国家転覆)にて権力を掌握したサーカシビリ。 彼も当初はマフィアとズブズブだったのですが、マフィアとの断絶もバラ革命の公約であり、驚くべきことに、彼は本当にマフィアと戦い始めたのです。 2006年頃までにはジョージアの名だたるマフィアは投獄されるか国外逃亡を余儀なくされ、ここに栄光のジョージアマフィアは終焉を迎えました。 話は変わりますが、このミハイル・サーカシビリという人物は、良くも悪くも(悪くも悪くも?)ジョージアという国の運命に大きな影響を与えた人物です。 腐敗の一掃を掲げて実権を握ったサーカシビリですが、自身や政権幹部の腐敗スキャンダル等により2007年には大規模デモが発生し、非常事態宣言を発令するまで追い詰められました。 また、サーカシビリ政権が求心力を失う中、ロシアを後ろ盾とする南オセチアやアブハジアといったジョージア国内の少数民族居住区では独立の機運が高まりました。 ここでサーカシビリは博打を打ちました。 北京オリンピック開催日前日の2008年8月7日、なんとジョージア軍は南オセチア自治州に軍事進行を開始し、同州の大半を武力制圧してしまったのです。 怒ったロシアは軍を増派し、南オセチア&アブハジアにてジョージア軍を撃退。 ジョージアは国土の20%を親ロ派勢力に占拠される憂き目を見たのです。 めちゃくちゃ複雑な経緯があるのは、重々承知しております。 とはいえ、自国領土に住む少数民族に引き金を引いたのはジョージア軍です。 にも関わらず、ジョージアがロシアに領土を占拠された被害者キャラを演じているのはとても違和感があります。 "つぶやき悠"こと小泉悠氏は、「(ロシアもジョージアも)両方僕は悪いと思うんですけど」とYouTubeでうっかりつぶやいてしまいました。 YouTubeだからまだ良かったものの、もし地上波で口を滑らして西側の意向にそぐわない発言をしてしまったら、BPO(放送倫理・プロパガンダ向上機構)から怒られちゃいますよ、つぶやき悠さん。 さて、その後ジョージアで失脚し、亡命先のウクライナでも大暴れしたサーカシビリですが、2021年にジョージア帰還を試み、当局に拘束され、例によってボコボコに暴行を受けたようです。 ジョージアの警察・当局って結構凶暴で、G氏もかつて何度か警察の世話になり、その度に留置所でボコボコにされたそうです。 脱ソビエトの進んだジョージアですが、特に公共セクターにおいては未だに色濃くソビエト的な悪習が残っているように思います。 このサーカシビリという名を出すと、トンデモ大統領というキャラが定着しているようで、ジョージアの特に若い世代は爆笑します。 サーカシビリの時代に根絶やしにされたジョージアマフィアですが、その後どうなったのかG氏に聞いてみました。 「マフィアは普通の企業になってビジネスで稼ぐようになった。ジョージアの名の知れた企業の中には旧マフィア系列の会社もある」とのこと。 小泉組 ドヤ顔でマフィアネタを披露するG氏を見て、マフィア大国の日本人として黙って聞いてる訳にはいきません! 「ジョージアではマフィアが国を仕切っていたのか。ところで日本ではヤクザ家系が総理大臣になったんだぜ!」 G氏の目が座りました。 第87〜89代内閣総理大臣小泉純一郎。 彼の母方の祖父小泉又次郎は、横須賀の軍港ヤクザ小泉組の組長でした。 現在では有り得ない話ですが、又次郎組長は政界進出も果たし、横須賀市議会議員・神奈川県議会議員を経て衆議院議員に当選、なんと逓信大臣(郵便&通信&運輸大臣)の座をも務めました。 又次郎は全身に見事な入れ墨が彫られており、「いれずみ大臣」の異名で人気を博したそうです。 もちろん小泉組が存在したのは暴対法施工以前の話であり、小泉純一郎自身はヤクザの構成員でもなんでもないので、全く問題ありません。 しかしながら、マフィア家系の出身者が先進国の総理を務めたというのはかなり珍しい事例ではないでしょうか? 仁義ある戦い 話をジョージアマフィアに戻しましょう。 G氏から聞いたマフィアの抗争の話が面白かったです。 「女絡みや金絡みで揉めた場合、喧嘩で決着をつけることがある。 喧嘩には流儀があって、まずはトラッシュトークによる煽り合いから始まる。このトラッシュトークで相手を言い負かせば気分が良い。しかしトラッシュトークと喧嘩の勝敗には全く関係がない。 煽り合いの後ファイトが始まるが、主に素手でタイマンだ。そして大事なのは決着がついたら必要以上に痛めつけないことだ。 もちろん武器を使ったり、めちゃくちゃ痛めつけたりすることもあるが、卑怯な手を使った場合、後でその何倍もの仕返しが待っている」そうです。 ジョージアマフィアの世界にも仁義があるようです。 YAKUDZA マフィア談義は続きます。 私:「クタイシマフィアってどれぐらいの数がいたんだ?」 G氏:「正確な数は知らないが、俺の集落の男は全員マフィアだった」 私:「そんな大げさなwww」 G氏:「誇張ではない。本当に文字通り集落の成人男性全員がマフィアだったんだ」 私:「...」 Mafia Cityは実在した。。。 最後にG氏は幼い頃の謎の思い出を語り始めました。 G氏:「どうしても忘れられない子供の頃の記憶があるんだ」 私:「なんだ?」 G氏:「ある日親父と二人でバスに乗っていた。バスにはワイらの他に体に障害のある男性も乗っていた」 私:「ふむ」 G氏:「そこにマフィアのオッサンが乗ってきた。障害のある男性を見たマフィアのオッサンは、その男性をボコボコに殴り始めたんだ」 私:「???」 G氏:「それを見た親父が立ち上がり、親父がそのマフィアのオッサンをボコボコにして、バスの外に放り出したんだ。その光景が今でも忘れられないんだ」 私:「(お前の親父が最強マフィアなんじゃないのか??)」 たしかに忘れられん光景ですなw 北斗の拳の世界観w そんなかつてのマフィア大国ジョージアで大人気の日本食ファストフードチェーン店が「YAKUDZA」です。 トビリシ観光の際は、是非お試しください
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