THE AXE MURDERER これはPRIDEやUFCで活躍した、日本でもお馴染みの格闘家ヴァンダレイ・シウバのニックネームです。 剛腕を振り回し対戦相手をなぎ倒すその様は、THE AXE MURDERER(斧を持った殺人鬼)の異名に相応しいものでした。 今回は、現実世界に実在したTHE AXE MURDERERのお話です。 2004年冬 ブダペスト その美しさから「ドナウの真珠」と称えられるハンガリーの首都に、後にアゼルバイジャンの英雄となる26歳の軍人ラミル・サファロフは降り立ちました。 すっかり暮れた街並みに、凍りつくような雪が白々と雪明かりのように輝き、夜の暗みの中に深々と沈んで行くような静けさが張り詰める1月の東ヨーロッパ。 NATOが主催する「平和のためのパートナーシップ」プログラムにラミル・サファロフの姿はありました。 この各国の若き軍人が集う場で、サファロフは出会ってしまったのです。 憎きアルメニア人に出会ってしまったのです。 サファロフは後にこう回想しています。 『奴らが我々の側を通ったところ、我々に向かって微笑んだのです。 その一瞬に私は奴らを殺しその首を斬ることを決意しました。』 惨劇の被害者となったのは、アルメニア陸軍中尉グルゲン・マルガリャン。 同軍のハイク・マクチャンと共にプログラムに参加していた被害者マルガリャンは、アルメニアの首都エレバン生まれの工学学士。享年25歳。 プログラムの参加者達は口々にこう証言しています。 『マルガリャンとサファロフの間には何の対立もなかった』 『むしろ彼らは全くコミュニケーションがなかった』 第一次ナゴルノ・カラバフ戦争(1988-1994)の激戦地ジャブライル出身であるサファロフは、胸に秘めたアルメニア人に対する殺意を周囲に悟られることなく、黙々と犯行準備を進めました。 そして惨劇の2月18日夜、彼はTESCOで購入した斧を部屋で砥ぎ、ついに凶行に及んだのです。 訪れたのはマルガリャンの部屋。 鍵はかかっていない。マルガリャンは熟睡している。 サファロフはマルガリャンの頭部めがけて斧を振り落とした。 室内に鈍い音がこだまする。 ルームメイトのクティが目を覚まし異変に気づいた。 辺り一面が血の海、そこには斧を手にしたサファロフ。 『あぁなんてことを。やめるんだ!』クティは叫んだ。 『安心なさい。あなたに危害を加えるつもりはない。』 サファロフは何かを成し遂げたような満足げな表情でこう答え、またマルガリャンの頭部めがけて斧を振り下ろした。 16回にも渡り、サファロフは斧を振り落とし、マルガリャンの頭部は胴体から引きちぎられた。 悪夢は終わらない。 次なる標的はマクチャン。 廊下に出て大声でマクチャンの名を叫び、部屋のドアをこじ開けようとするサファロフ。しかし必死の抵抗により部屋に押し入ることは叶わず。 そしてクティの通報で駆けつけたハンガリー警察によりサファロフは逮捕された。 惨状を目の当たりにした担当刑事は、「尋常ならざる冷酷さをもって」遂行された犯行であると後に評した。 取調べにてサファロフはこう証言した。 『私は後悔していますよ、今回の件までに1人のアルメニア人も殺さなかったことを。 我が軍は私をこの訓練プログラムに送りましたが、ここで私は2人のアルメニア人も我々と同じコースに参加することを知りました。アルメニア人に対する恨みが私の胸の奥から湧いたことを言わなければなりません。 最初のうちに我々は互いに挨拶していた、いや、むしろ彼らが私に対して「hi」と挨拶しましたが、私は彼らを無視しました。私は彼らを殺した原因とは、彼らが私の側を通ったところ、我々の顔に向かって微笑んだことです。その一瞬に私は彼らを殺し、その首を斬ることを決意しました。 私は今までの14年間ずっと軍隊にいますが、もし私が民間人だったらアルメニア人を殺せるかどうかは分かりません。私はそんなことについては考えませんでした。 私の仕事は彼らを皆殺しすることで、彼らが生きている限り、我が同胞がずっと苦しみます。 どこでもいつでも、私は同じことをすると思います。もしここにアルメニア人がさらにいたら、私は彼らを皆殺しするつもりです。残念なのは今回の行動が初の試みで、よく準備していなかったことです。 私の天職はアルメニア人を皆殺しにすることです。』 英雄の帰還 ハンガリーにて終身刑を言い渡されたサファロフの身柄は、8年の時を経て2012年にアゼルバイジャンに引き渡されました。 そこでサファロフは驚くべき光景を目にしたのです。 国を挙げての大歓迎! アゼルバイジャンの独裁者アリエフ大統領は即座にサファロフを恩赦し、国民も熱狂的に迎え入れたのです。なんとアゼルバイジャン軍はサファロフにアパートまでプレゼントしました。 ハンガリーの地で凶行に手を染めた猟奇殺人機は、祖国アゼルバイジャンで英雄となったのです。 これを不服としたアルメニアは即座にハンガリーとの外交関係を停止。再び正常化するまで10年の時を要しました。 ショックを受けた被害者マルガリャンの父親は翌2013年に自殺を試みました。 2006年のBTCパイプライン開通以降に国力を増強したアゼルバイジャンは、このサファロフ事件にて国威を高揚、その後、2016年の"4日間戦争"、2020年コロナ禍での"第二次ナゴルノ・カラバフ戦争"へと突き進み、ついに2023年のカラバフ奪還を成し遂げたのです。 もちろん国際法上の領土をアルメニアに占拠されたアゼルバイジャンの屈辱は理解できます。 また、たった一つの事件によってその国全体を評価するのは合理的でないでしょう。 しかしながら、
(※公正のために補足すると、第一次カラバフ戦争当時にアゼルバイジャン人をカラバフから追い出したアルメニア軍の手口は遥かに苛烈で禍根を残すものでした) 一躍ヒーローとなったラミル・サファロフですが、当初はメディアや政治家にヨイショされていたものの、本人はそういった活動を行う意思がなく、また本事件は世界的に見ればアゼルバイジャンにとっての汚点でもあったため、サファロフは徐々に表舞台から姿を消していきました。 その後のサファロフの消息は定かではないのですが、アゼルバイジャンがカラバフを奪還した今、故郷のジャブライルにでも帰り、来るアルメニア本土への侵攻に備え、またTESCOで買った斧を砥いでいるのかもしれませんね。 (追伸)RIZIN @ BAKU いよいよRIZIN LANDMARK 7 in Azerbaijanの開催が迫ってきました!
散々アゼルバイジャンの汚点を暴露してきた当ブログですが、そんなことMMAファンには関係ありません!!政治とスポーツは別物です!! アルメニア人の生き血が染み込む大地にそびえ立つ腐敗の象徴National Gymnastics ArenaでRIZINを楽しみましょう!
0 コメント
返信を残す |